AOPAフィリピンフライト

AOPA フライイン フィリピン
平成20年2月8日~14日

昨年、12月29日事務局よりメーリングリストが流れてきました。
AOPA-PHILIPPINE のROA 氏よりHot Air Balloon Festival の
ご招待をいただきました



スケジュール
2008年
2月 8日(金) 那覇集合
2月 9日(土) 那覇――>クラーク基地へ
2月10日(日) クラーク滞在 (ASEAN Meeting)
2月11日(月) クラーク――>パラワン島
2月12日(火) パラワン島
2月13日(水) パラワン島―>クラーク―>那覇


スケジュール
2008年
2月 8日(金) 那覇集合
2月 9日(土) 那覇――>クラーク基地へ
2月10日(日) クラーク滞在 (ASEAN Meeting)
2月11日(月) クラーク――>パラワン島
2月12日(火) パラワン島
2月13日(水) パラワン島―>クラーク―>那覇

費用US$1200位(CIQ手続き、全ての空港での機体ハンドリング料
   宿泊代(1人部屋)、パーティー代、その他)


パイパーアローが前回クラークへ行かれたとの情報を聞いていたので私のビーチボナンザでも行けるだろうと直ぐに参加の電話を畑中さんへ入れました。しかし、よくよく考えて見れば石垣島で給油出来なくなった事、例えそれがクリヤーされても石垣からクラーク迄燃料が持つのかの不安で1月13日断念したい旨畑中さんへメールを入れました。

すると石垣島での給油は出来る様になった事、石垣からクラークまで600マイル少々でGS130ノットでも充分可能だ!と今橋会長からのお電話も頂き、私としても今年3月から英語の認定試験に合格しないと海外フライトは出来なくなるからこれが最後のチャンスと思いを決め参加する事にしました。

すると1月14日フィリピンのROAさんから「サプライズフィリピナパーティを企画しているから正装してほしいので袖丈、胸囲、等採寸してメールで送って下さい。又、黒のズボン、靴も持参する様に」とメールが来ています。

どうしたものかと畑中さんへ電話すると「私もどうしたものかと思ってるんだけどとりあえず採寸して送っといて」との事。

続いて今橋会長からクラークを中心としたアプローチチャートやSID等の情報を電子メールで頂き鳳文書林からエンルートチャートを取り寄せフライトプラン作りも楽しいものです。私のビーチボナンザは6年前機体の塗色を真っ白に塗り替えています。そこで、今回のフライインフィリピンに対し両翼に日の丸を貼りつけました。

2月8日、私のビーチボナンザに同じ八尾の濱谷先輩、名古屋から参加の福井さんが同乗されての参加です。

朝11時に八尾をテイクオフ途中奄美で燃料を補給して5時那覇空港RWY36に着陸です。那覇には何度も行っていますが駐機エプロンはいつも空港の西側のはずですからRWY36に着陸するとレフトターンです。そのつもりでいるとタワーからネクストE4ターンライトと言ってきます。えっそんなはずは? 私はすかさずコンファームターンライト? タワーからはファーム! グランドと交信せよと言ってきます。

グランドと交信するとグランドからタクシーウエイを真っすぐ進めと、そしてスポット55へ着いたら着いた旨報告せよと指示してきますが私はスポット55が解りません、するとさすが濱谷先輩「思い出した国際線エプロンや、一番北のはずれや」なるほどそりゃーそやな私達は出国するんやから国際線や、スポット55には川満さんが出迎えてくれていました。

参加機は合計4機で私のビーチボナンザ以外は全部パイパーマリブで調布から参加のJA4032の青木機には佐藤さん、難波さん、鹿児島の坂下さん。

仙台から参加のJA4116の石井機には佐久間さん、事務局の畑中さん。鹿児島から参加のJA4046の下津機には黒田さん。合計12名の参加ですがJA4046下津機は2月10日に鹿児島を飛び立ち その日の昼過ぎにクラークに着かれるとの事で10名が沖縄の川満さんの出迎えを受け結団懇親会を終え明日9日はいよいよフィリピンに向け出発です。

9日、長時間のフライトに備え、昼食は機上でとサンドイッチやおにぎりを買い込み那覇空港国際線へ、国際線ターミナルで出国手続きなのですが他にも大勢の手続き待ちの一般の方々を尻目にすいすいとゲートを通過し荷物検査もややこしい書類チェックも受けずに出国手続きが終わっていました。

「こんなのは全て川満さんのお陰なのよ」と畑中さん、川満さんってどの様な方なのでしょうか正体が解りません。

チュラワンデパーチャーのクリアランスを受け那覇空港RWY36をTakeoff、一路石垣島へ、石垣島では燃料を満杯にしてフィリピンのクラークに向け出発なのですが石垣空港から最初のway point SADEK までの飛行routeが有りません。

計画ではClimbing VMC Direct SADEK then Flight Plan Route でしたが分厚い雲に覆われVFRでSADEKに飛行出来ません。情報官に相談すると出発経路を石垣Reversal Fiveで出発しベクターでSADEKに引っ張って貰ったら、とのアドバイス。

じゃーそれでリクエストしましょうとリクエストした所TWRから今日の出発経路は石垣Reversal Fiveじゃ無くSixですとの事、「Sixは持っていません」と無線で返事すると「ノータムが出てるんですがね」と注意を受けた後Sixの手順をTWRから教えて頂きTakeoff、那覇コントロールからDirect SADEKのクリアランスを貰いいよいよ5時間のクラークへ向けての飛行です。私のビーチボナンザは飛行高度1万フィートです。

9000ftで雲から抜け快適な飛行なのですが強い向かい風を受けGS130ノットぎりぎりです。マリブも150~160ノットって言って来てます。那覇コントロールとはSADEK通過後次のway point MEVINの通過時にマニラコントロールと交信せよと指示を受けましたがいくら送信してもマニラから返事が来ません。石垣を出発して3時間近く経った頃でしょうかフィリピンの陸地に近づいた頃やっとマニラコントロールと交信。

だんだんとクラークに近づいて来ました。

眼下では64,3年前激しい戦闘が有った所なのでしょうか「将兵の皆さん私の日の丸が見えますか?」はっきりした理由は思い浮かびませんが何となくそんな思いです。

クラークには滑走路が2本有ります、事前にRWYは02なのか20なのかILSの周波数が違いますから知っておかないといけません。その為にATISで情報収集です。あれっ113.1  無線交信周波数の範囲から外れてる。
113.1ってVORの周波数じゃん、そうなんです世界一周飛行した濱谷さん曰く「外国ではその様な事例が良く有るんですよ」

VORの周波数でATISを聞くのは初体験でした。

もう一つ初体験が有ります、QNHはヘストパスカルなんです。マニラコントロールはヘストパスカルで言って来ます。私のビーチボナンザには互換表が有りませんから困ってましたらクラークのATISでインチも流してまして一安心です。

AITSからのクラークの情報はRWY02 Rightです。日本時間の午後6時、現地の午後5時クラークアプローチからの誘導を受けクラーク飛行場の東から南に大きく回されRWY02 Rightにランディングです。

クラークTWRからフォロー、フォロミカーと指示を受けホットバルーンのイベント会場付近にスポットインです。

ROAさん、セブ島から参加された石田さんキャロルさん達の歓迎を受け、燃料の補給を受け、入国査証へ記入し、パスポートが回収され、入国手続完了の様です。

バスに乗って空港近くのホテル、ホリディインへチェックイン、すぐその後、1月に袖丈、胸囲など採寸した寸法を送っておいたフィリピンの礼服が出来ていたのでそれを受け取りました。那覇を午前9時半に飛び立ち
午後6時までの飛行にはさすがに疲れてしまい夕食後シャワーを浴びた後はバタンキューでした。

元気な方もいらっしゃって夜の街を散策された方もおられたとか、うらやましい限りです。ホットバルーンは気流の穏やかな早朝に行われるとの事で翌10日は朝6時に集合となっていましたが私は失礼させて頂きました。

朝食後はセブの石田さんを中心に明日のパラワンへの飛行計画の打ち合わせです。目的地、パラワン島に有るSandoval飛行場が見つかりません!

わいわいやっている内に坂下さんの持っておられるGPSに飛行場らしき線が確認出来、たぶん此処だろうと計画が出来上がりました。クラーク出発後ルバング島へ、ルバングからDirect Sandoval飛行場へと決定AM11頃打ち合わせは完了しました。PM1時になったらパラワンへのフライトプランを飛行場へ提出に、そして鹿児島からのJA4046も到着の予定だからお迎えに行こうという事になりましたがPM1時迄の時間ホテルのタクシーで近隣の観光をする事にしました。

クラークは以前米軍の空軍基地だったため道路、町並みはアメリカそのものです。数年前AOPAの行事で沖縄の嘉手納基地見学が有りましたがその時も基地のゲートをくぐったとたん景色はアメリカになりました。

タクシーの運転手が空港の街を出たところに「神風の記念碑が有る」と言いますから行って見る事にしました。

そこはマバラカット飛行場と言って帝国海軍第一航空艦隊第201航空隊が有った所で「司令長官大西瀧治郎中将発令で「神風(しんぷう)特別攻撃隊」と命名、関大尉率いる「敷島隊」が19年10月25日レイテ島タクロバン沖にて米空母セイントローに体当たりしこれを撃沈した」と「神風慰霊碑」に記されていました。始めての特攻機が出撃した飛行場跡でした。後で石田さんに聞くと今でも600メートル程の滑走路が残っているそうですが私達は気が付きませんでした。

予定通り1時にホテルを出発しクラーク飛行場へ、 フィリピン国内のフライトプランには少々ビックリさせられました。なんとLicense Noとか運行機の耐空検査日も記入する必要が有るのです。

所で鹿児島から飛来するJA4046が未だ到着しません。鹿児島を朝7時半にTakeoffしたと聞いてるのですが現地は今3時、日本時間では4時になりますからもう8時間は飛んでいることになります。

どこかで燃料枯渇して不時着してるのじゃないかとやきもきしてた時、クラークアプローチとJA4046との交信が聞こえてきました。一安心です、それにしてもパイパーマリブってすごい飛行機ですね、JA4046のフライトマネジメントも凄いですね。

この日の夜はROAさん主催のパーティーです、男性の皆さんは黒い靴、黒のズボンそれに仕立てて頂いたフィリピンの礼服を着て、畑中さん難波さんは男性と違いカラフルな民族衣装を着ての参加です。

パーティー会場は野外に設営されてあり私達のグループ他、ホットバルーン競技に参加された方々等200名はいらしゃったでしょうか。フルオーケストラの演奏でパーティーが始まり、途中牛車も登場して宴たけなわです。

石田さんに曰く「パーティーでフルオーケストラと牛車か馬車が出るのはフィリピンでは最高級のパーティーなんです」 ROAさんから私達を皆さんへの紹介も終わり少々早めでしたがパーティ会場を後にしました. これらの費用全部ROAさんが払われるのでしょうか?

11日パラワンSandovalへ出発です.

日本からの参加機4機はVFRで午前10時頃順次離陸しました。122.6Mhzで各機連絡を取りながら左にコレヒドール島を眺め、ルバング島の飛行場をヒットして一路パラワンへ飛行します。

Sandoval空港はノンタワー空港でしかも天圧して有るようですが土のランウエイです、118.3Mhzで一方的に位置通報を行いながら先着機の情報を元にRWY02に着陸です。お土産売り場と休憩所?に使う粗末な小屋?が二つ有るだけでコンクリートやアスファルトは一切見当たりません。

皆と集合写真を撮って船着場までジプニーの様なバスで30分位でしょうか移動します。船着き場と言ってもマングローブの林の先に桟橋が有り、更に船と桟橋との間が浅瀬の為小船でリゾート行きの船まで渡して貰うのです。両脇にマングローブが生い茂る川を下り海に出ました。船は真っ直ぐ沖に有る絶海の孤島リゾートClub NOAHへ向かいます。

又小船に移乗しClub NOAHに上陸ですが桟橋には色とりどりの熱帯魚がうろうろ見えていますし.しかもClub NOAHは全室水上コテージなのです。

ROAさん達はホットバルーンに参加された方々をご自分の所有機YS11に乗せて後から到着されましたROAさんご自身が操縦されて来られたんですって、凄い方ですね。

正味1日半の滞在でしたが2回の夕食ではホテルスタッフによるショーを見せて頂きそれは素晴らしいリゾートClub NOAHでした。

13日は帰国の日です。

4時起床、4時半食事、5時半乗船です。逆コースでSandoval空港へ到着、石田さんより急にエンジンをふかすと石が垂直に舞い上がりペラを傷付けるからと注意を受け8時半VFRでクラークへ向けTakeoffです。

Takeoffして約一時間後位でしょうかやっと交信出来るTWR118.3 San joseと交信してフライトプランをファイルします。こんな経験もフィリピンならではでしょう。約2時間の飛行でクラークRWY02 Rightに着陸。クラークでは燃料を満杯にして出国手続きを終え長時間フライト中の食事、ハンバーグの差し入れを受け出発経路SID31 W4 san fernandodepartureのクリアランスを貰い12時頃順次RWY02から出発です。

帰りは西からのホローの風を受けビーチボナンザで160ノットは出てましたでしょうか!パイパーマリブは200ノットを越えていたようです。

石垣島での着陸は案の定問題が有りました。SADEKから石垣島へのルートが有りませんから宮古島まで回され宮古島から石垣へアプローチする飛行を那覇コントロールは要求してきます。一番機のJA4032青木機はとっさにIFRをキャンセルされ石垣島へVFRで着陸されましたが2番機JA4116石井機は那覇コントロールに従われた様です。

私はSADEK通過後ベクターto石垣を要求しVOR Y RWY04アプローチでIFRをキャンセルせずに着陸しました。JA4046下津機は行きと同じく鹿児島までダイレクトで飛んで帰られたそうです。石垣島で入国手続きです、那覇と違い荷物は全部空港事務所まで運ばされ検査されました。再び燃料を補充し那覇までの飛行です。

JA4032青木機はVFRでさっさと那覇に向け離陸されて行かれましたが私はIFRで出発です。来る時はノータムチェックを忘れて注意を受けましたので今回はちゃんとチェックしなければなりません。

今度は来る時とは違う出発経路のノータムが出ていました。宮古 Seven デパーチャーと言う飛行手順です。ちょっとややこしそうなので別の出発経路をリクエストした所宮古Sevenデパーチャーなら直ぐ出発を許可出来るが他の出発経路だと30分以上は出発許可は出せません!と脅され?宮古Sevenデパーチャーを受けました。

クリアランスを受け飛行手順を頭に浮かべながらRWYに入って行きますとTWRからリバイスクリアランスとコールされ今度はグスクthreeデパーチャーに変更と言うんです。

Takeoff寸前で出発経路を変更されたんではこちらも準備が出来ていませんから「もう一度エプロンへ戻ります」と告げた所、さすが濱谷先輩、グスクthreeデパーチャーのAIPチャートを直ぐ用意して頂き難なくTakeoff出来ました。

いやはや石垣島は何かと手を焼かせる空港ですわ。夜8時那覇に到着です、スポットは55。JA4032は1時間も前に到着されてたのですが私達を待ってて下さいました。

再び川満さんのお世話でちょっと遅目の食事です。島ラッキョウにゴウヤチャンプル沖縄の美味しい食事と焼酎で朝4時からの行動と相まってホテルでは又バタンキューでした。

と言う事で楽しかったフライインフィリピンも終わってしまいました。沖縄の川満さん、セブの石田さん、ROAさん、そして何よりも事務局の畑中さん、お世話になりました。

私にとって最高のクロスカントリーを経験させていただき又素晴らしい思いでが一つ増えまして本当に有難う御座いました。
                

この記事へのコメント