2015年01月17日

北海道!移住体験奮闘記

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ここには車庫を作りました。右が筆者、左は濱谷会員



京都の夏は暑い! 夏は暑いのは当たり前なのですが京都は盆地なので空気が動かず、とても蒸し暑い所です。北海道へ避暑フライトしようと私の飛行機仲間3人と家内を乗せて平成20年の8月の終わりから9月の初めにかけて稚内ヘフライト旅行をして帰って来ました。同月の敬老の日、テレビを見ていましたら「移住特集」をやっていまして一緒に見ていた家内が「お父さん、北海道は涼しかったなあ」そんな家内の声を聞きながら北海道の色々な町が移住を促している報道を見て「う-ん、考えてもええなあ」っと云ってしまいました。


もし、北海道へ行くとしても夏場の3ヵ月間位で移住は出来ません。年齢的には定年退職ですが社長職を息子に譲ったとは言え完全に仕事から離れた訳でも有ませんし、ましてや飛行機をほったらかしにする事も出来ませんのでせいぜい三ケ月です。しかし、三ケ月間飛行機を持って行ける所が有れば、とその気になってしまいました。私の場合、たとえ三ケ月間にしろ何処に住むかは飛行機の置ける所です。片っぱしから電話をしてみました。

飛行機を保管する環境で無い!とか もう一杯です!とかで結局飛行機を預かって頂ける所は滝川と新得それに鹿部の三か所でした。同じ北海道なら道央がいいなあと鹿部を外し早速10月、家内と現地を見に行きました。滝川は市も積極的で飛行場も素晴らしくAVGASも有り良い環境ですが近くに温泉、ゴルフ場が有りません。結局、温泉、ゴルフ場が近くに有り有名なサホロスキー場が有る新得に的を絞り新得町の農林課を訪ね農道飛行場の使用についてお願いに行きました。滑走路は800m、私のボナンザは何の支障も有りません。

2機駐機できるスポット、それに格納庫も有りますが格納庫には町の所有する大型農機具が入っていて私の飛行機は格納できないとの事、又、以前ウルトラライトのグループに使用させた事が有りそのグループと近隣の酪農の方達と騒音でトラブルが有ったらしく快い承諾とは行きませんでしが離着陸の時は事前に農林課へ知らせる約束で承諾頂きました。AVGASは近くの帯広空港で給油できますのでとても便利です。


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車で5分のところにある新得農場飛行場


並行して企画調整課の係りの方と住まい探しを始めました。その時期新得町には売り物の土地や家屋しかありませんでしたが新得町が売りに出していた住宅を移住体験と云う形で7,8,9月の三ヵ月間町からお貸し頂ける事になり平成21年の7月1目から新得町での生活が始まりました。

涼しいですねえ滞在した夏の三ヵ月の間、夜に何度かストーブに火を入れました。家内にはパークゴルフやプールでの水泳を勧め、私はゴルフ三昧を決め込んだのですがオープンコンペ以外プライベートで行った場合一人でプレーさされます。初めは一人だったら練習もやりながら良いもんじゃと思っていましたが一人でプレーするゴルフって面白くないですねえ。そんな訳でゴルフもだんだんと遠ざかりますと他に何もする事が無く関西に住む友達に来い来いと電話して遊びに来て頂きました。新得の飛行場は私の住宅から車で5分程度で直ぐ飛行場へ行ける所に有ります。八尾では高速道路を1時間走って行きますのと大違いです。

遊びに来て頂いた友達たちと女満別から知床、旭川、釧路、中標津から根室、奥尻島など色々所ヘフライトもし三ケ月間が終わろうとしていました。「お父さん、来年も又来ようね」家内はそう云いますが私は時間の使い方が克服出来そうも無く「ええ!来年もかあ-」確かに蒸し暑い京都の夏を思うと涼しくて暮しやすいので又来たいとも思うのですが…。せめて家の手入れとか庭いじり、家庭菜園なんかが出来れば目的の有る生活が出来るので「家を自由に工作出来る物件がもし見つかれば来年も考えてもいいよ」と云いましたら見つかってしまいました。敷地450坪の土地に築15年?の二階建ての中古家屋が建っています、当時としては立派な建物の様ですが家の中は汚く敷地は荒れ放題で普通ならば落第物件です。

家内は「この家の掃除を手伝いさせられる」と思って嫌な顔をしていましたが私はとてもやる気を感じてしまいました。せっかく自由に出来る家屋が出来たのですからせめて冬、スキーに来れる様にしておきたいと11月に再び新得町に訪れ台所の掃除とガスコンロからIHの入れ替え、和室の畳の入れ替え、寝室のリニューアル、給湯、暖房用ボイラーの取り付け及び暖房機の取り付けを済ませスキーに備えました。

スキーに訪れた2月は気温マイナス16℃、15帖の居間に据えたストーブ1台で隣の15帖の和室と8帖の台所が充分暖かく快適です。積雪は少なく1m強で道路は完全に除雪されています。サホロスキー場はゲレンデの斜面は急でも緩くもなく雪質も素晴らしく俗に言うパウダースノーで混雑も無く快適なスキー場です。今年の7月再びここに来てやりたい事を思い浮かべながら新得を後にしました。家族や友達を呼んだ時泊める部屋を奇麗にしないと、道路から玄関までのアプローチを何とかしないと、車庫が無いので車庫がいるなぁ、ウッドデッキも有ったら良いなぁそれも広いの、白樺の木やとど松なんかも植えたいなぁ、広い庭には芝生が良いなぁ。

6月、思い浮かべてた工事をする行程表を作り必要な工具を宅配便で送り7月1目、新得へ出かけました。まずは雑草の生い茂った敷地を整地しなければなりません。それにウッドデッキやガレージを造るにはその部分の土地を掘下げ、砕石で埋め戻し基礎を造らねばならないのでユンボと云う重機を借り、慣れない操作で穴掘りや敷地の整地をするのです。掘った穴には10トンダンプカーで3杯もの砕石を入れ基礎造りです。近くの材木屋さんヘウッドデッキや車庫の木材を注文し、植木屋さんの所へ白樺の植え付けの打ち合わせもしなくてはなりません。とど松は私が穴を掘り植え付けました。

幸いに7月4日、思いがけなく奥さんを伴った潰谷さんの助っ人が加わり工事ははかどりました、延べ20日間くらいはお手伝い頂いたでしょうか、100人力です。汗だくだくの土方作業でくたくたに疲れるのですが毎日が本当に楽しいのです。毎日変化していく様を見ながら自然と朝早く目が覚め6時にはスコップやツルハシを持って作業が始まります。鈍っていた体には筋力が付き、メタボ気味なお腹は引き締まり?腰痛が無くなり健康になりました。


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強力な助っ人の濱谷会員と奥様


おかげ様で広い庭に芝生こそ生えていませんが8月25日現在目標近く工事は進んでいます。この間、娘の家族、息子たち家族も遊びに来まして新得飛行場から女満別空港へ飛び屈斜路湖や摩周湖の観光やら旭川空港へ飛び旭山動物園へも行きました。8月21目には青木さん、難波さん、佐藤教授、潰谷さんの訪問を受けほぼ出来上がったウッドデッキでコーヒーを飲んで頂きました。


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車庫も自力で作りました。

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完成したウッドデッキ


何と、飛行機は旭川空港に駐機しレンタカーで来て下さいました。濱谷さんからは再びお手伝いの申し出を受け8月26日めでたく立派な車庫が完成した次第です。二階の8帖と6帖の洋間は来客用のベッドルームにリニューアルしてありますので北海道へ飛来される事があれば新得農道飛行場へ着陸されどうぞ我が家へもお越し下さい。



posted by ボナンザ at 16:22| Comment(0) | 体験記 | 更新情報をチェックする

AOPAフィリピンフライト

AOPA フライイン フィリピン
平成20年2月8日~14日

昨年、12月29日事務局よりメーリングリストが流れてきました。
AOPA-PHILIPPINE のROA 氏よりHot Air Balloon Festival の
ご招待をいただきました



スケジュール
2008年
2月 8日(金) 那覇集合
2月 9日(土) 那覇――>クラーク基地へ
2月10日(日) クラーク滞在 (ASEAN Meeting)
2月11日(月) クラーク――>パラワン島
2月12日(火) パラワン島
2月13日(水) パラワン島―>クラーク―>那覇


スケジュール
2008年
2月 8日(金) 那覇集合
2月 9日(土) 那覇――>クラーク基地へ
2月10日(日) クラーク滞在 (ASEAN Meeting)
2月11日(月) クラーク――>パラワン島
2月12日(火) パラワン島
2月13日(水) パラワン島―>クラーク―>那覇

費用US$1200位(CIQ手続き、全ての空港での機体ハンドリング料
   宿泊代(1人部屋)、パーティー代、その他)


パイパーアローが前回クラークへ行かれたとの情報を聞いていたので私のビーチボナンザでも行けるだろうと直ぐに参加の電話を畑中さんへ入れました。しかし、よくよく考えて見れば石垣島で給油出来なくなった事、例えそれがクリヤーされても石垣からクラーク迄燃料が持つのかの不安で1月13日断念したい旨畑中さんへメールを入れました。

すると石垣島での給油は出来る様になった事、石垣からクラークまで600マイル少々でGS130ノットでも充分可能だ!と今橋会長からのお電話も頂き、私としても今年3月から英語の認定試験に合格しないと海外フライトは出来なくなるからこれが最後のチャンスと思いを決め参加する事にしました。

すると1月14日フィリピンのROAさんから「サプライズフィリピナパーティを企画しているから正装してほしいので袖丈、胸囲、等採寸してメールで送って下さい。又、黒のズボン、靴も持参する様に」とメールが来ています。

どうしたものかと畑中さんへ電話すると「私もどうしたものかと思ってるんだけどとりあえず採寸して送っといて」との事。

続いて今橋会長からクラークを中心としたアプローチチャートやSID等の情報を電子メールで頂き鳳文書林からエンルートチャートを取り寄せフライトプラン作りも楽しいものです。私のビーチボナンザは6年前機体の塗色を真っ白に塗り替えています。そこで、今回のフライインフィリピンに対し両翼に日の丸を貼りつけました。

2月8日、私のビーチボナンザに同じ八尾の濱谷先輩、名古屋から参加の福井さんが同乗されての参加です。

朝11時に八尾をテイクオフ途中奄美で燃料を補給して5時那覇空港RWY36に着陸です。那覇には何度も行っていますが駐機エプロンはいつも空港の西側のはずですからRWY36に着陸するとレフトターンです。そのつもりでいるとタワーからネクストE4ターンライトと言ってきます。えっそんなはずは? 私はすかさずコンファームターンライト? タワーからはファーム! グランドと交信せよと言ってきます。

グランドと交信するとグランドからタクシーウエイを真っすぐ進めと、そしてスポット55へ着いたら着いた旨報告せよと指示してきますが私はスポット55が解りません、するとさすが濱谷先輩「思い出した国際線エプロンや、一番北のはずれや」なるほどそりゃーそやな私達は出国するんやから国際線や、スポット55には川満さんが出迎えてくれていました。

参加機は合計4機で私のビーチボナンザ以外は全部パイパーマリブで調布から参加のJA4032の青木機には佐藤さん、難波さん、鹿児島の坂下さん。

仙台から参加のJA4116の石井機には佐久間さん、事務局の畑中さん。鹿児島から参加のJA4046の下津機には黒田さん。合計12名の参加ですがJA4046下津機は2月10日に鹿児島を飛び立ち その日の昼過ぎにクラークに着かれるとの事で10名が沖縄の川満さんの出迎えを受け結団懇親会を終え明日9日はいよいよフィリピンに向け出発です。

9日、長時間のフライトに備え、昼食は機上でとサンドイッチやおにぎりを買い込み那覇空港国際線へ、国際線ターミナルで出国手続きなのですが他にも大勢の手続き待ちの一般の方々を尻目にすいすいとゲートを通過し荷物検査もややこしい書類チェックも受けずに出国手続きが終わっていました。

「こんなのは全て川満さんのお陰なのよ」と畑中さん、川満さんってどの様な方なのでしょうか正体が解りません。

チュラワンデパーチャーのクリアランスを受け那覇空港RWY36をTakeoff、一路石垣島へ、石垣島では燃料を満杯にしてフィリピンのクラークに向け出発なのですが石垣空港から最初のway point SADEK までの飛行routeが有りません。

計画ではClimbing VMC Direct SADEK then Flight Plan Route でしたが分厚い雲に覆われVFRでSADEKに飛行出来ません。情報官に相談すると出発経路を石垣Reversal Fiveで出発しベクターでSADEKに引っ張って貰ったら、とのアドバイス。

じゃーそれでリクエストしましょうとリクエストした所TWRから今日の出発経路は石垣Reversal Fiveじゃ無くSixですとの事、「Sixは持っていません」と無線で返事すると「ノータムが出てるんですがね」と注意を受けた後Sixの手順をTWRから教えて頂きTakeoff、那覇コントロールからDirect SADEKのクリアランスを貰いいよいよ5時間のクラークへ向けての飛行です。私のビーチボナンザは飛行高度1万フィートです。

9000ftで雲から抜け快適な飛行なのですが強い向かい風を受けGS130ノットぎりぎりです。マリブも150~160ノットって言って来てます。那覇コントロールとはSADEK通過後次のway point MEVINの通過時にマニラコントロールと交信せよと指示を受けましたがいくら送信してもマニラから返事が来ません。石垣を出発して3時間近く経った頃でしょうかフィリピンの陸地に近づいた頃やっとマニラコントロールと交信。

だんだんとクラークに近づいて来ました。

眼下では64,3年前激しい戦闘が有った所なのでしょうか「将兵の皆さん私の日の丸が見えますか?」はっきりした理由は思い浮かびませんが何となくそんな思いです。

クラークには滑走路が2本有ります、事前にRWYは02なのか20なのかILSの周波数が違いますから知っておかないといけません。その為にATISで情報収集です。あれっ113.1  無線交信周波数の範囲から外れてる。
113.1ってVORの周波数じゃん、そうなんです世界一周飛行した濱谷さん曰く「外国ではその様な事例が良く有るんですよ」

VORの周波数でATISを聞くのは初体験でした。

もう一つ初体験が有ります、QNHはヘストパスカルなんです。マニラコントロールはヘストパスカルで言って来ます。私のビーチボナンザには互換表が有りませんから困ってましたらクラークのATISでインチも流してまして一安心です。

AITSからのクラークの情報はRWY02 Rightです。日本時間の午後6時、現地の午後5時クラークアプローチからの誘導を受けクラーク飛行場の東から南に大きく回されRWY02 Rightにランディングです。

クラークTWRからフォロー、フォロミカーと指示を受けホットバルーンのイベント会場付近にスポットインです。

ROAさん、セブ島から参加された石田さんキャロルさん達の歓迎を受け、燃料の補給を受け、入国査証へ記入し、パスポートが回収され、入国手続完了の様です。

バスに乗って空港近くのホテル、ホリディインへチェックイン、すぐその後、1月に袖丈、胸囲など採寸した寸法を送っておいたフィリピンの礼服が出来ていたのでそれを受け取りました。那覇を午前9時半に飛び立ち
午後6時までの飛行にはさすがに疲れてしまい夕食後シャワーを浴びた後はバタンキューでした。

元気な方もいらっしゃって夜の街を散策された方もおられたとか、うらやましい限りです。ホットバルーンは気流の穏やかな早朝に行われるとの事で翌10日は朝6時に集合となっていましたが私は失礼させて頂きました。

朝食後はセブの石田さんを中心に明日のパラワンへの飛行計画の打ち合わせです。目的地、パラワン島に有るSandoval飛行場が見つかりません!

わいわいやっている内に坂下さんの持っておられるGPSに飛行場らしき線が確認出来、たぶん此処だろうと計画が出来上がりました。クラーク出発後ルバング島へ、ルバングからDirect Sandoval飛行場へと決定AM11頃打ち合わせは完了しました。PM1時になったらパラワンへのフライトプランを飛行場へ提出に、そして鹿児島からのJA4046も到着の予定だからお迎えに行こうという事になりましたがPM1時迄の時間ホテルのタクシーで近隣の観光をする事にしました。

クラークは以前米軍の空軍基地だったため道路、町並みはアメリカそのものです。数年前AOPAの行事で沖縄の嘉手納基地見学が有りましたがその時も基地のゲートをくぐったとたん景色はアメリカになりました。

タクシーの運転手が空港の街を出たところに「神風の記念碑が有る」と言いますから行って見る事にしました。

そこはマバラカット飛行場と言って帝国海軍第一航空艦隊第201航空隊が有った所で「司令長官大西瀧治郎中将発令で「神風(しんぷう)特別攻撃隊」と命名、関大尉率いる「敷島隊」が19年10月25日レイテ島タクロバン沖にて米空母セイントローに体当たりしこれを撃沈した」と「神風慰霊碑」に記されていました。始めての特攻機が出撃した飛行場跡でした。後で石田さんに聞くと今でも600メートル程の滑走路が残っているそうですが私達は気が付きませんでした。

予定通り1時にホテルを出発しクラーク飛行場へ、 フィリピン国内のフライトプランには少々ビックリさせられました。なんとLicense Noとか運行機の耐空検査日も記入する必要が有るのです。

所で鹿児島から飛来するJA4046が未だ到着しません。鹿児島を朝7時半にTakeoffしたと聞いてるのですが現地は今3時、日本時間では4時になりますからもう8時間は飛んでいることになります。

どこかで燃料枯渇して不時着してるのじゃないかとやきもきしてた時、クラークアプローチとJA4046との交信が聞こえてきました。一安心です、それにしてもパイパーマリブってすごい飛行機ですね、JA4046のフライトマネジメントも凄いですね。

この日の夜はROAさん主催のパーティーです、男性の皆さんは黒い靴、黒のズボンそれに仕立てて頂いたフィリピンの礼服を着て、畑中さん難波さんは男性と違いカラフルな民族衣装を着ての参加です。

パーティー会場は野外に設営されてあり私達のグループ他、ホットバルーン競技に参加された方々等200名はいらしゃったでしょうか。フルオーケストラの演奏でパーティーが始まり、途中牛車も登場して宴たけなわです。

石田さんに曰く「パーティーでフルオーケストラと牛車か馬車が出るのはフィリピンでは最高級のパーティーなんです」 ROAさんから私達を皆さんへの紹介も終わり少々早めでしたがパーティ会場を後にしました. これらの費用全部ROAさんが払われるのでしょうか?

11日パラワンSandovalへ出発です.

日本からの参加機4機はVFRで午前10時頃順次離陸しました。122.6Mhzで各機連絡を取りながら左にコレヒドール島を眺め、ルバング島の飛行場をヒットして一路パラワンへ飛行します。

Sandoval空港はノンタワー空港でしかも天圧して有るようですが土のランウエイです、118.3Mhzで一方的に位置通報を行いながら先着機の情報を元にRWY02に着陸です。お土産売り場と休憩所?に使う粗末な小屋?が二つ有るだけでコンクリートやアスファルトは一切見当たりません。

皆と集合写真を撮って船着場までジプニーの様なバスで30分位でしょうか移動します。船着き場と言ってもマングローブの林の先に桟橋が有り、更に船と桟橋との間が浅瀬の為小船でリゾート行きの船まで渡して貰うのです。両脇にマングローブが生い茂る川を下り海に出ました。船は真っ直ぐ沖に有る絶海の孤島リゾートClub NOAHへ向かいます。

又小船に移乗しClub NOAHに上陸ですが桟橋には色とりどりの熱帯魚がうろうろ見えていますし.しかもClub NOAHは全室水上コテージなのです。

ROAさん達はホットバルーンに参加された方々をご自分の所有機YS11に乗せて後から到着されましたROAさんご自身が操縦されて来られたんですって、凄い方ですね。

正味1日半の滞在でしたが2回の夕食ではホテルスタッフによるショーを見せて頂きそれは素晴らしいリゾートClub NOAHでした。

13日は帰国の日です。

4時起床、4時半食事、5時半乗船です。逆コースでSandoval空港へ到着、石田さんより急にエンジンをふかすと石が垂直に舞い上がりペラを傷付けるからと注意を受け8時半VFRでクラークへ向けTakeoffです。

Takeoffして約一時間後位でしょうかやっと交信出来るTWR118.3 San joseと交信してフライトプランをファイルします。こんな経験もフィリピンならではでしょう。約2時間の飛行でクラークRWY02 Rightに着陸。クラークでは燃料を満杯にして出国手続きを終え長時間フライト中の食事、ハンバーグの差し入れを受け出発経路SID31 W4 san fernandodepartureのクリアランスを貰い12時頃順次RWY02から出発です。

帰りは西からのホローの風を受けビーチボナンザで160ノットは出てましたでしょうか!パイパーマリブは200ノットを越えていたようです。

石垣島での着陸は案の定問題が有りました。SADEKから石垣島へのルートが有りませんから宮古島まで回され宮古島から石垣へアプローチする飛行を那覇コントロールは要求してきます。一番機のJA4032青木機はとっさにIFRをキャンセルされ石垣島へVFRで着陸されましたが2番機JA4116石井機は那覇コントロールに従われた様です。

私はSADEK通過後ベクターto石垣を要求しVOR Y RWY04アプローチでIFRをキャンセルせずに着陸しました。JA4046下津機は行きと同じく鹿児島までダイレクトで飛んで帰られたそうです。石垣島で入国手続きです、那覇と違い荷物は全部空港事務所まで運ばされ検査されました。再び燃料を補充し那覇までの飛行です。

JA4032青木機はVFRでさっさと那覇に向け離陸されて行かれましたが私はIFRで出発です。来る時はノータムチェックを忘れて注意を受けましたので今回はちゃんとチェックしなければなりません。

今度は来る時とは違う出発経路のノータムが出ていました。宮古 Seven デパーチャーと言う飛行手順です。ちょっとややこしそうなので別の出発経路をリクエストした所宮古Sevenデパーチャーなら直ぐ出発を許可出来るが他の出発経路だと30分以上は出発許可は出せません!と脅され?宮古Sevenデパーチャーを受けました。

クリアランスを受け飛行手順を頭に浮かべながらRWYに入って行きますとTWRからリバイスクリアランスとコールされ今度はグスクthreeデパーチャーに変更と言うんです。

Takeoff寸前で出発経路を変更されたんではこちらも準備が出来ていませんから「もう一度エプロンへ戻ります」と告げた所、さすが濱谷先輩、グスクthreeデパーチャーのAIPチャートを直ぐ用意して頂き難なくTakeoff出来ました。

いやはや石垣島は何かと手を焼かせる空港ですわ。夜8時那覇に到着です、スポットは55。JA4032は1時間も前に到着されてたのですが私達を待ってて下さいました。

再び川満さんのお世話でちょっと遅目の食事です。島ラッキョウにゴウヤチャンプル沖縄の美味しい食事と焼酎で朝4時からの行動と相まってホテルでは又バタンキューでした。

と言う事で楽しかったフライインフィリピンも終わってしまいました。沖縄の川満さん、セブの石田さん、ROAさん、そして何よりも事務局の畑中さん、お世話になりました。

私にとって最高のクロスカントリーを経験させていただき又素晴らしい思いでが一つ増えまして本当に有難う御座いました。
                
posted by ボナンザ at 14:55| Comment(0) | フライト記録 | 更新情報をチェックする

2013年05月21日

恒例の石垣紀行2013

皆さんこんにちは。
5月2日から5月5日迄石垣島へ行って来ました。
5月2日は松本さん、松尾さん、小林さん同乗で朝8時にVFRで八尾を出発、
奄美で給油、昼食を済ましIFR で那覇へ、那覇で再び給油、宮崎さんを同乗に
迎えIFRで新石垣空港へ、18時に着陸しました。
石垣島ではラインで来られた大谷さん御家族、三宅さん、中西君達と合流、
(松本さんは3日に東京へラインで戻られました)組は分かれましたが
「鳩間島観光」「島内観光」「波照間観光」等を楽しみました。
夜は地元の「居酒屋」で島らっきょう、ソーメンチャンプル、等沖縄料理をたらふく
食べ飲み費用は一人2500円程度、二次会もスナックへ行きました。
楽しく飲んで歌って費用は一人3000円。宮崎さんは4日ラインで那覇に
戻られました。

その旅行時の写真を少しアップさせていただきますカメラ

まずは、石垣島では有名な川平湾に・・・
川平1.JPG

川平2.JPG

そして島の展望台に
展望台.JPG

展望台2.JPG

そして石垣最北端の灯台を見学しました
石垣最北端.JPG

石垣島にある鍾乳洞へ・・・

鍾乳洞1.JPG

メンバー松尾さんの大好きなブーゲンビリアをわーい(嬉しい顔)
ブーゲンビリア.JPG

鍾乳洞2.JPG

鍾乳洞3.JPG

そして5月4日は、松尾さん、三宅さん、小林さん、中西の4名で
波照間島を見学してきました。

ここは南十字星が見える島としても有名です^^

まずはやはり人が住む最南端の碑を見学に
波照間最南端の碑.JPG

波照間1.JPG

そして現在は廃港の波照間空港の前までいってきました
波照間空港.JPG

しまんちゅうの家を・・・
波照間家.JPG

沖縄らしい集落を楽しんで帰りました。

楽しく過ごせた石垣島でしたがあいにく天候は曇天で半袖で過ごせる筈でしたが
長袖が必要だった事が少々残念な石垣島でした。
帰りは松尾さん、小林さん、三宅さん、中西君の同乗で曇天だった為IFRで
8時半頃石垣を離陸、しかしトランスポンダが動作しません。石垣のタワーに
IFRをキャンセルを宣言VFRで那覇へ向かいました。
那覇へVFRで着陸は初めてで少々緊張(米軍から管制を受ける)しましたが無事
着陸、着陸後早速那覇の情報から電話が入り「トランスポンダが動作不良のままでは
離陸の許可は出せません!」と云われ数日の那覇停留を覚悟しましたが那覇在住の
第一航空の整備士に処置してもらい何とか帰る事が出来ました。
給油を終えいよいよ出発ですが初めてのVFR着陸をしたので初めてのVFR出発を
して見ようとVFRでの出発です、RWY36の場合IFRではレフトターンで出る
のでタワーがライトターンデパーチヤーかと聞いて来たのでライトターンでも
良いんやと判断、ライトターンで出発、那覇をライトターンで出ると那覇の市街中心
に出ます。首里城をぐるっと一周したりしてしばし那覇市街を空から観光して

首里城.JPG

奄美へ、奄美で給油、そして昼食を終え再びVFRで奄美を出発、
ほぼ一直線で八尾を目指し9500フイートの高度で追い風を受け
18時10分八尾へ帰って来ました。

今回もトランスポンダの故障と云うアクシデントが有りましたが無事楽しい
フライイン石垣島を終える事が出来ました。

肝心な新石垣空港の写真を撮り忘れていましたもうやだ〜(悲しい顔)

また、いろいろなフライト紀行を更新していきますので、
これからも応援よろしくお願いします。

posted by ボナンザ at 15:37| Comment(0) | フライト記録 | 更新情報をチェックする
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